HELLO CYBERNETICS

深層学習、機械学習、強化学習、信号処理、制御工学、量子計算などをテーマに扱っていきます

勉強と読書

 

 

follow us in feedly

勉強

広辞苑によると以下のことだそうです。

1.精を出してつとめること。
2.学問や技術を学ぶこと。さまざまな経験を積んで学ぶこと。
3.商品をやすく売ること。「お値段は勉強しときます」

今回は2.の意味の勉強について話します。

 

勉強の目的

勉強の目的というのは予め持っておく必要はないと思います。もちろんあるならそれに越したことは無いでしょうけど、「なんとなく興味がありそう」くらいの感覚でも良いと思います。

やってみて合わなかったらそれはそれでやめてしまえばいいと思います。そもそも、合うか合わないか、そんなのは始めてみてから分かることです。

 

そして何かが心にピタッとはまり、もっと続けたいと思っていたら、いつしか大きな目標が出てくるかもしれません。その時にそれに向けてさらなる努力をすればいいのであって、勉強を始める大きな目的なんてのは、最初のうちは普通は無いものだと思います。

 

カラオケやボーリング、バッティングやゴルフだって、初めて挑んだときは、友達との付き合いや流れでなんとなく始めただけで、最初から上手くなるのが目標だったわけではないはずです。当然、その中で今はすっかりやらなくなったというものもあるでしょう。

 

カラオケを上手に歌いたいと思って歌唱について調べたり、ボーリングやバッティングのフォームを練習したり、それらだって勉強です。その先にはその道のプロになりたいという目標があったという人は中々いないでしょう。単にそれに興味があり、少し向上心を持っていただけのことです。

 

結局、きっかけは些細なことで、始めてから続くか続かないかが分かれていくものです。

そしてその目的も後から発現してくるものだと思います。

 

勉強もそのくらいの気持ちで、いろいろ始めて見ればいいと思います。

 

 

いかに勉強を始めるか

基本的には小学校から中学校、高校、大学、大学院、職場など全ての場所で勉強は行われることだと思います。特に学校と呼ばれる場所においては、自分が能動的でなくとも勉強をする機会が与えられますから、その点は問題ありません。

 

大事なのは機会が外部から与えられないときに、いかに勉強するかだと思います。

 

能動的に励む勉強の方が身に沁みるのは間違いありません。

優秀な人ならば、学校の時点から勉強に対して能動的で、教員や教科書、与えられる宿題などを上手く「使って」いたのでしょう。私自身は全く持って優秀な人ではありませんでした。

 

根も葉も無いことを言いますが、勉強に能動的に励むには勉強を始めるしかありません。

カラオケやボーリングの類とことなり、学問を学びたいと思ったときに「友人の付き合いで」ということは中々起こらないでしょう。

では、どのように始めたらいいのか。

このとき大事なのは、全く勉強に対して身構える必要はないということだと思います。

 

学校で良い成績を取ろうと思ったり、職場で崇拝されるほどに詳しくなったり、何か立派なことに役立てたりという、勉強の先に大きなものがある必要はないと思うのです。

 

気楽な気持ちで始め、そして嫌だったらいつでもやめればいい。

 

生死が掛かってるわけではありません。今までスマホでゲームをしたり、ぼーっとしていた時間を少し削ってやってみるだけでもいいと思います。その時間を、なにか新しい勉強を始めることに使ってみるだけです。嫌ならやめてもいいでしょう。

 

勉強のテーマをころころ変えていいのか

私の心に響いているのは、ノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川先生と、同じく受賞した山中先生の会話です。当時若手であった山中先生が、恐る恐るノーベル賞を受賞した利根川先生に放った質問は以下のような内容です。

 

「研究のテーマを頻繁に変えてしまうことは、研究者としてどうですか?」

 

当時、研究が上手くいかず悩んでいた山中先生が、説教を覚悟で聞いた質問でした。これに対し利根川先生は、

 

テーマ変えるのが悪いことなのか?いろいろな分野でチャレンジすればいいじゃないか

 

と言った返答をしました。後に山中先生が自分の分野を見つけ、iPS細胞でノーベル賞を受賞したのは有名な話です。

 

利根川先生は他にも「時間は有限だから、適当にテーマを選んでたら本当に大切なことをやるまえに一生が終わってしまう。これなら一生続けても悔いはないと思うことが見つかるまで研究を始めるな」という発言もしているようです。

 

一見矛盾しているように感じるでしょうか?

私はそうは思いません。むしろ、本当に大切な一生続けても悔いはないと思うことをいかにして見つけるか、というのがいろいろな分野へのチャレンジなのだと思います。

 

勉強を始めてみて、合わないと思ったらやめればいいんです。それは自分にとって一生続けても悔いはないと思えることではないはずだからです。そして、いろいろ手を付けて、何らかの目標が出てくるようであれば、それを続けると決めればいいのだと思います。

 

ましてや彼は研究者としての研究の話をしています。興味を持って勉強をすることとは更に一段階上の次元の話です。ですから、なにか勉強をしてみようというのは、更にもっと気楽で良いと思います。

 

ちなみに利根川先生は現在、自身がノーベル賞を受賞した分子生物学・免疫学の分野から離れ、脳科学・神経科学の研究に励んでいます。

 

読書

私は読書をします。ゲームをするくらいなら「読書してます」の方がカッコいいから始めよう、くらいのモチベーションでした。これが実は大きな勉強のきっかけになりました。

 

読書とは

読書とは本を読むことです。しかし辞書的な意味はこの際どうでもいいです。

 

読書をするというのは言わば、「他者の追体験をすること」に等しいと思います。

 

私は小説はたまにしか読みません。しかし、小説であってもその登場人物に感情移入することで、架空の人物の人生を追体験することができます。もし自分が彼(彼女)ならば、こう思うだろう、ということをつい考えながら読むことでしょう。

また、伝記などは「他者の追体験」という意味では最も分かりやすいでしょう。

 

読書で他者の追体験をする

自分が考えも、思ってもみなかったことを、他者が思いつき本に記しています。読書をすればそれを知ることができます。自分がわざわざ思いつくところからまとめ上げるところまでやらなくても、読書をすれば他者の努力を丸々吸収できるのです。これほど素晴らしい物はありません。

 

その価値は本来ならば1000円や2000円で買えるようなものではないはずです。本が自由に手に取れるのは本当に恵まれた環境だと思います。

 

そして私は、教科書などでも「他者の追体験」に相当することができると思っています。むしろ、そのような視点で教科書を読むと良いと思います。教科書に書かれている知識体型は、過去の人物の経験の産物です。

 

教科書を読むことそれ自体が勉強ですが、「他者の追体験をすること」ということを意識し、彼らが何を考え、どういう意図で、そのような体型を築き上げたか考えれば、内容の理解も捗るはずです。

 

既に興味がある、ある程度知っている分野の本を読む

まず既に興味があって、知っている分野に関しての文献を読むのは、おそらく誰でもすることでしょう。

 

これは言わば、自分の知識を深くしていくことに相当します。

 

これは当然のごとく大事なことだと思います。その動機が何かは分かりません。研究テーマかもしれませんし、業務内容かもしれません。それならば深く知っているに越したことはないでしょう。

いずれにしても何か一つに関して集中して取り組んだことがあるという経験自体が、必ず全く新しい未知の場面でも役に立つはずです。何かを理解しようと思ったときに、「あの時はああしたな」という経験が手がかりになることがあるからです。

 

新しい分野に手を伸ばす

 

これは言わば知識の幅を広げていくことに相当します。

 

私は意外とこれも大事だと思っています。

私が気楽に勉強を始めるきっかけができたのは、これをするようになったためです。

新しい分野というのは大きく分けて2つです。

 

1.全く興味がないと確信しているから手を付けようとしない分野

2.意識しなかった分野

 

「1.」に関しては、やってみれば意外と面白いかもしれませんが、最初から偏見がある分始める気力が保てないかもしれません。世界にはいろいろな分野がゴマンとあるので、わざわざこういうところにこだわる必要はないでしょう。

 

重要なのは「2.」の方です。存在すら知らない、あるいは気づかなかっただけで、自分の好みにドンピシャな可能性もあります。始めて見たら意外と、ということがあり得るかもしれません。

 

そもそも私が機械学習に興味を持ったのも、プログラミングをしていたからでもなんでもなく、読書から始まったに過ぎません。なんとなく脳科学の一般向けの本を読み始め、その後、人工知能ってどうなっているのだろうと思い、そして機械学習にたどり着きました。

 

その結果、がっつりと機械学習の勉強をするようになっています。幅を広げていったら、いつの間にか深く知りたくなっていたのです。

 

結果的にプログラミングにも興味を持ち、実際に始め、更に最近では金融関連のことにも興味を持つようになってきました。

好きとか嫌いとかそんなこと考えもしない分野にこそ、何かが眠っている可能性もあるということです。

 

 

 

 

当然、とりあえず読書してみたものの、結局興味を持たなかったこともあります。

なので私の部屋には途中で読まれなくなった本(物性、化学、将棋、音楽など様々)がたくさんあります。

 

それでも良いと思っています。

 

Kindle unlimited

読書に拍車を掛けたのは、Amazonが昨年夏からサービスを開始した「Kindle unlimited」です。

私は本を買っては読まなくなるということも結構あるため、このサービスは重宝しています。

 

内容はKindle対応の電子書籍の一部が月額980円で読み放題というものです。

スマホやタブレットは当然のこと、PC用のKindleアプリケーションもあります(Linuxはなさそう)。

 

Kindle for PC (Windows) [ダウンロード]

Kindle for PC (Windows) [ダウンロード]

 

 

Kindle for Mac [ダウンロード]

Kindle for Mac [ダウンロード]

 

 

月額980円って、安そうに見えて実は結構高いです。年間で約12000円です。

1年でこれだけのお金を本に掛けるでしょうか。しかも全ての本が読めるわけではありませんから、必ずしもお得とは言えません。

 

 

私は読書が何かのきっかけになると思っているので、このサービスを利用して、興味を持ったものをとにかく読み漁っています。元々、私は本に結構なお金を掛けて、失敗も繰り返してきているので、このサービスでいろいろな分野を掻い摘むには重宝しています。

 

特にプログラミングや英語の勉強に関する本は常時Kindleに入れてあります。

 

本を読むのが当たり前、あるいは、勉強のきっかけづくりに読書を使おうと思うのならばこのサービスは有用だと思います。

 

 

ちなみに漫画や雑誌とかは、人気なものは当然対応していないので、ある特定の本だけを読むと決めているならばあまり使えないと思います。