はじめに
この記事は法律や憲法に関する話ではありません。
数学の勉強に関する話です。
結論
法律家にならない限り、法の根本から学ぶ必要はないのと同じように
数学家にならない限り、数学の根本から学ぶ必要はないです。
数学と法
憲法と法律
法律や条例が憲法に違反しているか(違憲であるか)の議論が持ち上がることがありますが、それは憲法とは最高法規であって、これに反する法律や条例などは断じて認められないからです。
違憲審査がこの世に存在する以上、必ずしも憲法に反する法律や条例が存在しないとは言い切れません。これは「言葉の曖昧さ」という言語に本質的に内在するものや、「解釈の違い」という人間の捉え方の差異などが原因だと考えられます。
更に、そもそも「憲法は正しいのか?憲法改正だ!」という議論も出てきます。
一体これが数学と何の関係があるのかを考えてみましょう。
公理と定理
公理というのは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことです。複数の公理をまとめ上げたものを公理系と言います。
そして、公理から演繹的に導かれる命題のことを定理と言います。
これは言い換えると、定理は公理によって導かれているのであって、公理に反する定理など存在しないということです。
さて、とある定理が公理系に反するかどうかということを調べる方法はあるでしょうか。
当然あります。定理を前提にスタートして演繹的に何かを導いたときに、その何かが公理系に反する場合は、前提である定理が間違っているということです。
では、公理系自体がそもそも正しいのかという議論はあるのでしょうか。
もちろんあります。「公理系がおかしくて、違う公理系を考えるべきだ」と思えば、そうすればいいだけのことです。実際、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の公理系は違うのです。
数学と法の共通点
数学と法はいずれも「絶対的なルール」があり、それを前提として「下位のルール」が存在しています。そして下位のルールが絶対的なルールに反するかどうかを議論したり、絶対的なルール自体が正しいのかに疑問を持ったりするという部分も似ています。
当然、これらのルールは何かに更に適用するために構築されるのであって、その適用場面で不具合があってはいけないので、なるべく正確に厳密に記述されます。
数学も法律も、一見すると回りくどく、何を言っているのかイマイチ掴めない場合があるのも、その厳密さを保ち漏れを排除するためには仕方のないことなのです。
「つまりどういうことか」を簡便に説明されれば納得できることも、ルールとして記述する上ではどうしても難しくならざるを得ません。
数学と法の差異
しかし、数学と法では圧倒的な違いがあります。
まず下位のルールが絶対的なルールに反するか否かを論じるときに、数学には明確なルールが存在するという点です。
数学には自然言語のような曖昧さや、人による解釈の違いなどありません。議論の展開も含め全てが厳密に定められており、主観の入る余地がないのです。
また、法における絶対的なルールは1つでなければなりませんが、数学における絶対的なルールは1つでなくてもいいのです。とあるルールの下(公理系)で議論を展開しているという認識さえ持っていれば、ルールは複数準備されていても構いません。
したがって、適用する場面においては、数学は法よりもずっと単純であるということです。
難しいのはそのルールの記述のされ方であって、適用するときに迷うことなどは法に比べればずっと少ないはずです。
裁判をする
法の下の裁判
裁判では憲法や法律や条例に基づいて、何かしらの判決を導き出します。
「それは有罪だ」、「それは無罪だ」、「それは罰則に値する」などと、既に出来上がっているルールと現実の事象を照らしあわせて行きます。
当然ルールそのものに曖昧性や解釈の違いが混入するために、判決の結果は裁判官によって異なっていたり、時の流れで変化するということも起こってきます。
数学の下の裁判
数学では公理や定理に基づいて、何かしらの計算をすることに相当するでしょう。
その計算手順は「僕ならこう考える」なんてことで覆ったりはしません。
どっか理解できる定理からスタートすればいいのです。あるいは公式からでも良いでしょう。
その公式が如何にして導かれたのかは非常に重要ですが、まずはその公式を使ってみるということをしてみるべきです。具体的な適用例(裁判)を見て、その後に、その根本は何なのかを理解していくという順番で良いのです。
学び方
分野を特化して学ぶ
世の中の法律家が全ての法律に精通しているということはおそらく無いと思います。
誰にも、この分野でなら紛争に負けないという得意分野があるはずです。
実際に、行政書士や弁理士、税理士など、特定の法について特化したスペシャリスト達がおり、その分野において弁護士よりも多くの活躍をしているという事実も有ります。
機械学習をやるにしても信号解析をやるにしても、制御をやるにしても何にしても、応用数学の分野において数学を1から全て学ぼうというのはかなり無理が有り、自分の分野に特化した数学を学ぶほうが効率的です。
例えばある行動が法律に触れるかどうかを知りたければ、その周辺の法律を調べればよく、常に事例が先に有り、その事例に関わる部分を勉強するということです。
誰のか分からないお金が落ちていて、それを拾って自分のものにするのはどうだろうか。
ゴミとして破棄されているものがあり、それを拾って自分のものにするのはどうだろうか。
憲法から調べる人はいないでしょう。
もしも特許を出したければ知的財産権について調べるのであって、自由権から始めようということもないでしょう。数学も、まずは機械学習や信号処理があって、それにまつわる数学を学ぶという順番で良いはずです。更には分類問題がやりたいんだというのであれば、それにまつわる部分から始めても良いはずです。
数学の本をドサッと並べて、1から理解してやるぜと意気込んでしまうと、どこかでガタが来てしまうことでしょう。
個別の手法から学ぶ
更に、実際には特化した分野のスペシャリスト(例えば機械学習の博士)になるというわけでもない場合が多いでしょう。税理士になろうと思わなくとも、税のことを学ぼうということが十分ありうるように、機械学習博士を目指さなくとも機械学習を学びたいというケースはあるわけです。
例えば個人事業主で法人化しようか迷う場合は、所得税や法人税について個別に調べることから始まるでしょう。税全体について勉強を始めるということは恐らく無いはずです。
機械学習でも、分類をしたいというのであれば、まず分類に関する個別の手法を1つ1つ勉強していけばいいはずです。その時、必要になる数学というのは意外と少なく、負担も小さいはずです。
PRMLなんていきなり読んでも、多分何も分かりません。
根本を知る意義
まず裁判の判決を複数見たならば、同種の裁判に共通の判断基準があることに気づくはずです。その根本が一体何であるのかを知ることには十分に意義が有ります。
個別の問題に見えていたものも、まとめて1つに見えるようになるはずです。
数学も根本をたどれば、個々の手法が、共通した枠組みの中で捉えられるようになってくるはずです。しかしこれは、個々の具体例に触れていて初めて理解できるもののような気がします(頭の良い人は最初から全てを悟るかもしれませんが)。
根本の部分を知っていく過程には、個々の手法を知っているだけではわからない、遥かな成長があると思っています。
ですので、個々の枝葉だけ知っていればいいということでは断じてありません。
しかし、それでもやはり、まずは個々の部分から見ていくほうが良いと思っています。
個々が共通に見えるという実感があった時に感動を覚えるはずです。
記事の動機
なぜこんな記事を書こうと思ったのかというと、私自信が最初から細かいことを気にしすぎるあまり、すぐ勉強が詰まってしまうという経験があったためです。
高校数学や高校物理を学び始めた時から、どうしても与えられる公式を使うことに抵抗があり、手を動かそうとしませんでした。その一方で壮大な理論に立ち向かおうとしても全く歯が立たたないという始末でした。
結局振り返ってみれば、個々の手法をとりあえず使ってみて、後でそれらを繋げていくほうが上手く理解が進みました。よくも分からず使ってみるということが、何も無駄になるというわけではないのです。そのことに気づくのにかなりの時間を要しました。
勉強の取り組み方に関する意識が変わってから、捗り具合も楽しさも、随分変わったように思います。